大企業という病気 その3
アクセスいただきありがとうございます。
今回は大企業という病気の3回目です。
テーマは、判断力の欠如です。
企業や組織は通常、ミッション(市場・顧客に対して果たすべき使命)を持っています。
このミッションを遂行するときには、場面場面で判断することが求められます。
判断力
日本人は本来「判断」することが苦手です。
「合議」することを良しとし、自分で行動を起こす際には周りがどう動いているかを気にします。
判断するためには、その裏腹のこととして、「責任」も負わなければいけません。
今のこの日本・世の中はこの「自分が責任を取る」ことが大嫌いです。
誰が判断をするのか
サラリーマンの習性として、自分では判断をせず、上司に判断を仰ぐことが常套手段です。
僕の勤めている会社も同じです。
自分が判断するよりも「みんなで考えましょう」、「上に判断してもらいましょう」が横行しています。
組織で働く以上、上位判断を仰ぐということは大事です。
でも、判断というのは現場現場で当事者が行わなければいけません。
もし、ある製品の開発をして不具合が起こったとします。
この場合、その不具合の要因を調査し、不具合に対して対策をして、その技術的根拠を明確にし、開発を前に進められるようにするのは現場当事者の判断が必要です。
そして、上位判断を仰ぐというのは、この問題が解決したので試作することを「承認」してくださいということであり、そのために技術的判断根拠を説明するという仕事の姿が正しいのです。
しかし、今は「不具合の要因はこれだと思いますが良いですか?」という内容に対して上位判断を求めているシチュエーションを多く見かけます。
一昔前であれば、「そんなことは知らん、お前が考えろ!」と一喝されても仕方がない案件です。
しかし、今は時代が違います。
企業トップ側の人間は、部下の(特に中間管理職の)仕事のやり方に大きな不満と不安を抱えています。
ここ十数年、部下に任せてきた開発は混迷を極めることが多く、経営努力により売り上げは増えたものの企業体力は衰えていく一方なのです。
だから、企業トップ側の人間は現場の判断にまで口を挟むようになっています。
必要な人が必要な判断をしていない。
これが大企業病の一因となっています。
判断の遅れ
先のような判断を、上位者がする場合、当然現場の細かい事情はよくわかりません。
だから、判断をするためには一つ一つ詳しい部下を呼びつけ、わかるように説明させる必要があります。
その報告が非常に論理的でスムーズな報告であればまだマシでしょう。
でも、その殆どが自分の技術論に偏りすぎて公平さを欠いた「独りよがりの説明」であることが多いです。
しかし、上位者はそのような報告を受けた場合、「公平公正な情報ではない」ことは一目でわかります。
従って「やりなおし」の指示が下されます。
こうして、1つの判断が下されるまでに報告とやり直しが繰り返され、時間が浪費されていくのです。
これは判断の遅れに直結します。
判断ミス
先のような判断場面において、時間がかかりすぎる場合、上位者は常に開発日程の締め切りと板挟みに遭うことになります。
その場合、上位者は足りていない情報の中から判断していかなければいけません。
それは時に「男気溢れる判断」になります。
「俺が判断する。責任は俺が持つ。」
かっこいいですね。
でも、この男気は何の役にも立たないことが多いです。
だって、それで判断ミスをするのであれば結局判断した意味がないのですから。
また、既述のように、本来は現場現場で判断が求められています。
しかし、上位者は自分が本来するべき仕事・判断の時間を部下の仕事に費やしています。
このため、自分の仕事すら完遂することができずに満足感のある判断ができなくなります。
これが2番目の判断ミスです。
なぜか
前回の記事にて「中間職層マネジメントの崩壊」について既述しました。
この中間職層の人たちが仕事多分にサボっているため、このような事態が生まれています。
仕事をサボっている人はいません。
ただ、「責任を持って判断する」ということに一生懸命になっている人はあまりいません。
だから、上位は部下を信用せず、部下の判断に首を突っ込みたくなり、判断遅れ・判断ミスが多く誘発されます。
本来であれば中間職層が責任を持って判断するということが常日頃行われていなければならないのです。
いかがだったでしょうか。
今回まで、「大企業という病気」をテーマに記事を書きました。
次回は、まとめを行いたいと思います。